@の不穏に負けそうになるとき

いつもいっているドラッグストアで、不穏に。
いつもではないが、たまに不穏になるのだ。

原因は不明。そのときによっても違うのだろう。
カゴの品物を棚に戻して店を出たいが、それもさせてくれない。不穏であっても、やるべきことはやらないと気が済まない。

ああ嫌だ。長年の繰り返しにより、そういう思いが頭に浮かぶことがくせになっている。過剰な反応なのは分かってる。

@の不穏が私にうつるのかもしれない。私は、@を切り替えるどころか、自分自身を切り替えることさえできず、落ち込んでいく。

しかし、@は私の手を取り(クレーン現象)、頭を叩かせ、「わかた(分かった)」と言わせる。
@自身の切り替え方法であり、私に対する謝罪でもあるのだろう。
「分かった」といえば、それで終結という流れ。

※実際は「分かった」と言う言葉を際限なく要求することがあるため、それはそれでまた嫌になるのだが。
いったん出来た傷はすぐには癒えないものだから。治癒には時間がかかるのだ。
そう分かっていても、嫌なものだが。